サンタクロースの謎 結構ある
こんにちは!ひいらぎです
もうすぐクリスマスですね
そー言えば サンタさんて??
そんな疑問から サンタさんの謎を調べてみました。
各国での違い
イギリスではファザークリスマスと言い、緑色の(近年は赤が主流)の服を着ている。オーストラリアとニュージーランドでもファーザークリスマスと言う。
オランダではクリスマスが1シーズンに2回あり、プレゼントがもらえるのは12月6日の「聖ニコラスの日」の前日と、25日のクリスマスである。
イタリアではクリスマスが1月6日まで続き、5日に魔女が来て、良い子にお菓子を、悪い子に石炭をくれるという伝説がある。
ドイツでは、悪い子は「悪い子を罰する黒いサンタ(クネヒト・ループレヒト)」にさらわれるという言い伝えがある。(日本ではブラックサンタと呼ばれる)
しかし現在では、ドイツの子供たちは「クリスマス男」と「クリストキント」(クリスマス子)とのどちらかを信じているといわれており、どちらが持ってくるかで学校では論争があるという。
なおドイツでは、サンタクロースは商業主義だとしてカトリックによるサンタクロース排撃事件があり神父たちが襲われる事件もあった。
ロシアではジェド・マロース(マロースおじいさん)が孫娘のスニェグーラチカを連れて、プレゼントを配るという風習がある。
南半球に位置するオーストラリアでは、クリスマスが夏になることから、サンタクロースは海からサーフボードで、サーフィンをしながらやって来るとされる。
何年か前にTVでやっていました(結構面白かった)
由来
『ミラの聖ニコライ、無実の三人を死刑から救う』
(画:イリヤ・レーピン。主教の祭服を身につけた姿で描かれている)
サンタクロースのモデルはシンタクラースである。そのシンタクラースのモデルは「ミラのニコラオス」ではないかと言われている。
4世紀頃の東ローマ帝国・小アジアのミラの司教(主教)、教父聖ニコラオス(ニコラウス)の伝説が起源である。
ラテン語ではニコラウス。
イタリア語、スペイン語、フランス語ではサン・ニコラ。
イタリア語ではニコラオとも。
ロシア語ではニコライ。
以下のような伝説のほか、絵画のように無実の罪に問われた死刑囚を救った聖伝も伝えられている。
「ある時ニコラウスは、貧しさのあまり三人の娘を身売りしなければならなくなる家族の存在を知った。
ニコラウスは真夜中にその家を訪れ、窓から金貨を投げ入れた。
このとき暖炉には靴下が下げられていており、金貨はその靴下の中に入ったという。
この金貨のおかげで家族は娘の身売りを避けられた」という逸話が残されている。
この逸話が由来となり、「夜中に家に入って、靴下の中にプレゼントを入れる」という、今日におけるサンタクロースの伝承が生まれている。
また、ニコラウスの遺骸はイタリア南部の都市であるバーリに移されたとも言われている。
煙突から入ることになったのは1822年にアメリカの学者クレメント・クラーク・ムーア(英語版)がフィンランドの言い伝えを伝承した「聖ニクラウスの訪(おとな)い」(英語)という詩「キラ星のなか、屋根から降るのは/小さい蹄の立てる爪音/引っこめ振り向いて見ると/聖なるニコラウス煙突からどすん」を書いたからと考えられる。
また、ニコラオスは学問の守護聖人として崇められており、アリウス異端と戦った偉大な教父でもあった。
教会では聖人として列聖されているため、「聖(セント)ニコラオス」という呼称が使われる。
これをオランダ語にすると「シンタクラース」である。
オランダでは14世紀頃から聖ニコラウスの命日の12月6日を「シンタクラース祭」として祝う慣習があった。
その後、17世紀アメリカに植民したオランダ人が「サンタクロース」と伝え、サンタクロースの語源になったようだ。
正教会系の国では、サンタクロースは厳密に「奇蹟者」の称号をもつ聖人たる聖ニコラオス(聖ニコライ)であり、聖ニコラオスの祭日は12月6日である。
子供たちがこの日に枕元に靴下を吊るしておくと、翌朝に入っているのはお菓子である。
尚、クリスマスである12月25日は聖体礼儀に行く日で、プレゼントはない。
ユリウス暦を採用している正教会(エルサレム総主教庁、ロシア正教会など)の聖ニコラオスの祭日は12月19日であり、主の降誕祭(クリスマス)は、現行の暦に換算すると1月7日である(2008年現在、ユリウス暦とグレゴリオ暦の間には13日の差があるため)。
ロシアでは1月7日にジェド・マロース(Дед мороз, マロース爺さん:マロースとはロシア語で「吹雪」「寒波」という意味)と孫のスネグーラチカ(Снегурочка, 雪娘)がプレゼントを運んでくる。
なおニコラオスは、商人の守護聖人でもある
サンタクロースの姿・特徴
ドイツの聖ニコラウス(右)。左の茶色の服は悪い子を懲らしめるクネヒト・ループレヒト
常に笑顔の、白のトリミングのある赤い服・赤いナイトキャップ姿で白ヒゲを生やした太りぎみの老人の男。
白い大きな袋にクリスマスプレゼントを入れて肩に担いでいる。
19世紀の初出では一頭立てのトナカイがそりを引く姿が描かれていたが、やがて八頭立てとなり、家々の子どもたちが寝ている間にプレゼントを配る現在のイメージに至っている。
欧米諸国などのサンタは「Ho Ho Ho」(ふぉっ、ほっほっ)と特徴的な笑い声をあげる事がある。伝統文化として定着している面もあり、カナダではサンタクロース宛専用の郵便番号「H0H0H0」がある
(同国の郵便番号の書式は"A1B2C3"のようなアルファベットと数字の組み合わせのため、アルファベットの"O"(オー)の代わりに数字の"0"(ゼロ)を使用している)。
ドイツの古い伝承では、サンタは双子(?!)で、一人は紅白の衣装を着て良い子にプレゼントを配り、もう一人は黒と茶色の衣装を着て悪い子にお仕置きをする(クネヒト・ループレヒトを参照)。
容姿・役割共に日本のなまはげに似ており、民俗学的にも年の瀬に来訪する年神としての役割の類似が指摘される。
現在、ドイツでは聖ニコラウスは「シャープ」と「クランプス」と呼ばれる二人の怪人を連れて街を練り歩き、良い子にはプレゼントをくれるが、悪い子にはクランプス共に命じてお仕置きをさせる。
スペイン・イタリア・ポーランド・メキシコなどのカトリック教徒が多い国では、顕現節という祝祭があり、伝統的にはこの日(1月6日)に子供たちはプレゼントをもらう。
イタリアでは良い子にはプレゼントやお菓子、悪い子には炭を配って歩く魔女ベファーナの伝承がある。
ハイチではトントン・ノエル(サンタクロース)と一緒にトントン・マクート(麻袋おじさん)が回り、悪い子はトントン・マクートが袋に入れてさらってゆくとされる。
ロシアのジェド・マロースは青い服を着ている。
アイスランドでは、サンタクロースに相当する妖精として13人のユールラッズがいる。
「スプーンを舐めるサンタ」など13人に明確なキャラ付け、名前などの設定が決められているほか、母(グリーラ)、父(レッパルージ)、そしてペットのユール・キャット(クリスマス猫)などもいる。
エーシャ山に五千年住んでおり、12月12日から毎日ひとりずつおりてきて、良い子にはお菓子、悪い子には生のジャガイモを靴のなかにいれていく。
24日に勢揃いし、25日からひとりずつ山に戻る、という。
サンタクロース(シンタクラース)の服装はキリスト教の司祭服に由来する。
・1881年にトーマス・ナストによって描かれたサンタクロース。
ナストはクレメント・クラーク・ムーアの詩と共に、現代に通じるサンタクロースのイメージを生みだした。
• 1821年、『子供たちのお友達 (The children's friend)』(作者不詳)という絵本が出版され、この絵本の中で1頭のトナカイが引くソリに乗ったサンタクロース (santeclause) の姿が描かれた。
• 1822年、ニューヨークの神学者クレメント・クラーク・ムーア(コロンビア大学教授)が病身の子供のために作ったと言われる詩「聖ニコラウスの訪問」の中で、8頭のトナカイに引かれたソリに乗るサンタクロースの姿が表現された。
ただし、この年代ならびに作者については異説がある。
• 1823年、米国トロイの新聞「トロイ・センティネル」に「聖ニコラスの訪問記(クリスマスの前の晩)」という詩が神学者クレメント・クラーク・ムーアの友人の手によって、作者名を明らかにしない形で掲載された。
これは長らくクレメント・クラーク・ムーア教授 (Clement C. Moore) によるものであると紹介されてきた。
一方、2000年のニューヨーク・タイムスの報道により、ヘンリー・リヴィングストン・ジュニアが本当の作者ではないか、という説が提示された
• 1849年、米国コロンビア大学のクレメント・クラーク・ムーア教授名義で「クリスマスの前の晩」が出版され、その挿絵として赤い服を着たサンタクロース、がテオドア・C・ボイドによって描かれた。
• 1862年、週刊誌「ハーパーズ・ウィークリー」においてトーマス・ナストが「丸々太ってニコニコ顔」のサンタクロースを描いた。
• 1874年、日本では築地居留地にあった学校で開催されたクリスマス会にて、殿様風の姿をしたサンタクロースが登場した。
• 1886年、トーマス・ナストは聖ニコラウスの姿を参考にして、サンタクロースが北極で暮らしている姿を詳細に描いた。
• 1900年、一説によると、この年発行された子供向け教材により、日本の物語に初めてサンタクロースが登場。
ただし名前は「北國の老爺 三太九郎」とされていた。
「・・・・むむ・・微妙だ・・・」
既に1888年からクリスマスカードなどクリスマス用品が輸入され始めたことをきっかけに一般の人にも広まり、この物語発行から数年後頃には年中行事として定着していたという。
「サンタクロースが赤い服を着ているのはコカ・コーラの広告によるものである」というデマが出回っているが、これは誤りである。
このデマを流したのは自分達の影響力を誇示したいコカ・コーラ社とメディア、広告業界であると言われている。
米国コカ・コーラの広告にサンタクロースが初めて採用されたのは1931年。
日本では1907年に「緋羅紗の服」(『朝日新聞』1907.12.17)
「身に赤衣を纏ひ」(『朝日新聞』1907.12.28)
「真っ赤な服をつけて白髪の赤い面を冠りサンタクロースに装ひ」
(『読売新聞』1914.12.13)との記述がある。
アメリカやヨーロッパにおいても19世紀には既に赤い服を着たサンタクロースが主流になっている。
更にサンタクロースのモデルはシンタクラースであるが、シンタクラースは赤い衣装を身に着けている。
トナカイ
「サンタクロースのトナカイたち」
サンタクロースの乗る空飛ぶソリを引くトナカイは8頭おり、「サンタクロースがきた(クリスマスの前の晩)」によれば、それぞれ以下の名前である。
• ダッシャー (Dasher)
• ダンサー (Dancer)
• プランサー (Prancer)
• ヴィクセン (Vixen)
• ダンナー (Donner)
• ブリッツェン (Blitzen)
• キューピッド (Cupid)
• コメット (Comet)
また、「赤鼻のトナカイ」の歌(原題:Rudolph the Red-Nosed Reindeer|Rudolph the Red-Nosed Reindeer )で有名な9頭目のルドルフ (Rudolph) は、ロバート・L・メイ著の「ルドルフ 赤鼻のトナカイ」(1939年)から8頭の先導役として先頭を走る1頭で足されている。
NORADによる追跡
1955年にNORAD(北アメリカ航空宇宙防衛司令部)の前身であるCONADに間違い電話がかかってきた。
百貨店シアーズ・ローバックが「サンタへのホットライン」を設けたのだが、電話番号が間違っていたためである。
機転をきかせた当時の司令官が"レーダーで確認させて"、電話を掛けてきた子供たちにサンタの最新情報を順次伝え、その後、NORADの職員やその家族・友人たちのボランティアによってサンタとトナカイの最新情報が流されている。
現在ではインターネットでサンタクロースの現在位置と配ったプレゼントの数をリアルタイムで、サンタのソリが地球上空を飛行するCGアニメーションで配信している。
詳しくはノーラッド・トラックス・サンタを参照。
グリーンランドに住む長老サンタクロースの補佐をする目的で、グリーンランド国際サンタクロース協会が1957年に設立された。グリーンランド国際サンタクロース協会が認定する公認サンタクロースは現在世界に120人。クリスマスに自宅ですごすことができない子どもたちのため、クリスマスより一足早く福祉施設や小児病棟などを訪問する。
毎年7月、デンマークのコペンハーゲンで世界サンタクロース会議が開かれている。公認サンタクロースは、自宅からサンタクロースの衣裳で参加することが義務づけられている。
日本からは、1998年にマンボミュージシャンのパラダイス山元がグリーンランド国際サンタクロース協会公認サンタクロースになっている。
彼は著書「サンタクロース、ライフ。」で絵本
「ねすごしたサンタクロース」を
「サンタが寝過ごして魔女に助けてもらうなんてあり得ない。作者はサンタクロースを知らないと思うと情けなくなる」
と批判した(本では作者や出版社に考慮してタイトルを書いていない)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/サンタクロース
お疲れさまでした
NORADによる追跡は何年か前から利用させてもらっていましたが
きっかけが 一本の間違い電話からというのが
何ともアメリカらしくて素敵ですよね
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
nevergreen221gmailcom.hatenablog.com
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